
レッドブルは7月9日(水)、20年にわたってレッドブル・レーシングを率いてきたチーム代表のクリスチャン・ホーナーの解任を発表。レーシングブルズのローレン・メキーズ代表が後任を務めることが決まった。
ここ数年で10チームそれぞれを率いる代表の顔ぶれも大きく変わった。ここでは、F1チーム代表の仕事ぶりをご紹介する。
F1黎明期、チーム代表はコンストラクターを創設した人物と同意義だった。ブルース・マクラーレンやフランク・ウイリアムズのようなF1界のアイコン的存在が、チャンピオンチームを創設し、何十年にもわたって組織を率いてきた。
ホーナーがレッドブル代表を去った後、現時点で最も長くチームを率いている人物の在任期間は約12年。フランク・ウイリアムズの43年とは対象的だ。
では、現在の10名のチーム代表は誰だろうか? 顔ぶれを見ていこう。
■F1におけるチーム代表とは?
簡単に言うと、チーム代表はF1チームを束ねる”ボス”。ドイツ語をはじめとするいくつかの言語では、このボスが実質的な役職名として使用されることもある。
そしてチーム代表の立場は明確。F1チームのあらゆるパフォーマンスにおける責任は、通常彼らに集約される。
かつてはチーム代表がオーナーもしくは共同創業者だった時代もある。ロータスのコリン・チャップマンや、マクラーレンのブルース・マクラーレン、そしてウイリアムズのフランク・ウイリアムズがその良い例だ。チャップマンはマシンをデザインしたり、ブルース・マクラーレンはマシンを走らせ自らエンジニアとして関わったり、フランク・ウイリアムズはメカニックらと共にピットで作業したりと、ひとりで八面六臂の活躍をしていたこともある。
現在では、チーム代表がメカニックに混じって手を汚すこともなければ、ましてやF1マシンを運転することもない。チーム代表は通常、”雇われ従業員”だ。株式を保有することはあっても、チームの所有権という点ではそれ以上の力はない。
現在のチーム代表が”被雇用”という事実は、F1チームが独立した組織ではないという現実を映している。フェラーリがその典型であるように、F1チームは技術や人材、施設、そして歴史を共有する、より大きな組織の一部になっている。
一方で、レッドブル・レーシングは、自動車メーカーやプライベーターとは全く別の業界にいる企業が所有するF1チームだ。エナジードリンク企業とF1チームの間には、様々な統治機構が設けられている。ただ、どのF1チーム代表にも、メーカーのCEOや企業の総帥、もしくはオーナーといった”上司”がいる。その上司は、常に結果という見返りをチーム代表に求める。仮に結果が出なければ……その後の説明は不要だろう。
■F1チーム代表は何をしている?
F1チーム代表の仕事は、チームの顔として動くことだ。レース週末はもちろん、サーキットを離れていても、チームの”報道官”として何度もメディアのインタビューに応じ、チームの利益に繋がるように話す。
また、スポーツ的、政治的な意味合いでもチームの利益を第一に考え、FIAやF1などの運営組織やレーススチュワード、他チームとのミーティングに参加する。このような場合には、補佐として専門スタッフも参加することが多いが、F1チーム代表には外交能力やビジネススキルが必要になる。
そして、チーム代表が担うもうひとつの重要な役割が、チームが勝つための環境と仕組みを作る「人材管理」だ。無論、根っからのエンジニアでも構わないが、チーム代表はガレージの奥で人目を避けるようにひたすら数字を見ているような人間では務まらない。
F1チーム代表に限らず、どんな組織のトップでも、一歩引いた視点から大局を見渡し、それに従って正しい決断を素早く下す能力が必要だ。
その中で最も重要なカギとなるのが、「自分でやるよりも、他に任せること」だ。現在のF1チームは専門化が進み、レースエンジニアやストラテジスト、メカニックなど、高度な専門的知識・スキルを持つスタッフで構成されている。
ほぼ全員が、チーム代表よりも自分の専門分野に関してはよく知っているのだ。だからこそ、チーム代表は適切な人材を採用し、適切な体制を整え、スタッフの力量を信頼することが重要となる。
とはいえチーム代表の中には、現場主義を貫く人物もいる。この辺は、そのチームの経営理念やスキルによって、変わってくるところだろう。監督的な立場から現場を見守ることを好む人もいれば、専門的な知識をチームに提供できる分野があれば、それを活かす人もいる。
ローレン・メキーズ|レッドブル・レーシング

・所属チーム:レッドブル・レーシング
・在任帰還:2025年から
ローレン・メキーズはレッドブル・レーシング史上ふたり目のチーム代表だ。流体力学を専攻し、F3からキャリアをスタートさせた後、25年以上にわたってモータースポーツに身を置いてきた。
2000年代初頭にアロウズでF1の世界に飛び込んだメキーズは、その後レーシングブルズの前身にあたるミナルディへと移籍し、マーク・ウェーバー、ジャスティン・ウィルソン、ゾルト・バウムガルトナー、クリスチャン・アルバースらのレースエンジニアを務めた。
2006年にチームがレッドブルに買収されてトロロッソとなった際にメキーズはチーフエンジニアに昇格したが、2014年にはFIAへ移りセーフティディレクター兼副レースディレクターに就任した。
ただF1グリッドから長く離れることはなく、2018年からフェラーリでトラックオペレーション主任、スポーティングディレクター、そして最終的には副チーム代表を務めた。その後チーム代表としてレッドブルのジュニアチームに戻り、ホーナー離脱に伴いシニアチームで指揮を執ることとなった。
アラン・パルメイン|レーシングブルズ

・所属チーム:レッドブル・レーシング
・在任帰還:2025年から
ローレン・メキーズはレッドブル・レーシング史上ふたり目のチーム代表だ。流体力学を専攻し、F3からキャリアをスタートさせた後、25年以上にわたってモータースポーツに身を置いてきた。
2000年代初頭にアロウズでF1の世界に飛び込んだメキーズは、その後レーシングブルズの前身にあたるミナルディへと移籍し、マーク・ウェーバー、ジャスティン・ウィルソン、ゾルト・バウムガルトナー、クリスチャン・アルバースらのレースエンジニアを務めた。
2006年にチームがレッドブルに買収されてトロロッソとなった際にメキーズはチーフエンジニアに昇格したが、2014年にはFIAへ移りセーフティディレクター兼副レースディレクターに就任した。
ただF1グリッドから長く離れることはなく、2018年からフェラーリでトラックオペレーション主任、スポーティングディレクター、そして最終的には副チーム代表を務めた。その後チーム代表としてレッドブルのジュニアチームに戻り、ホーナー離脱に伴いシニアチームで指揮を執ることとなった。
スティーブ・ニールセン|アルピーヌF1

・所属チーム:アルピーヌF1チーム
・在任帰還:2025年から
前任者オリバー・オークスが2025年マイアミGP後に突如チームを去ったため、スティーブ・ニールセンがアルピーヌのマネージング・ディレクターとして加わり、実質的なチーム代表を務める。
ニールセンは1986年にF1でのキャリアをスタートさせたが、当初はF1ケータリング会社のトラックドライバーとして働いていた。その後ロータス、ティレル、ホンダ、アロウズで様々な職務を経験したが、アルピーヌで現在エグゼクティブアドバイザーを務めるフラビオ・ブリアトーレ指揮の下、ベネトンで仕事をしていたことが最もよく知られている。
ニールセンはベネトンがルノーとして再出発した際にもブリアトーレと仕事をし、フェルナンド・アロンソを擁してF1タイトルを獲得した2005年と2006年にはスポーティングディレクターを務めた。2013年と2014年にはトロ・ロッソとウイリアムズでチームを率いたこともある。
ジョナサン・ウィートリー|キック・ザウバー

・所属チーム:キック・ザウバー
・在任帰還:2025年から
ウィートリーは2006年から18年にわたりレッドブル・レーシングに所属し、スポーティングディレクターまで上り詰め、F1記録を塗り替えたピットクルーなどを監督した。
レッドブル・レーシング加入前にはルノーでチーフメカニックを務め、現在グリッドにいる多くの代表と同様に、1990年代にベネトンでキャリアをスタートさせた。
そして2024年にレッドブル・レーシングを去ったウィートリーは、2024年からザウバーにチーム代表として加入した。同チームは2026年からアウディワークスに変貌を遂げる予定だ。
アンディ・コーウェル|アストンマーティン・レーシング

・所属チーム:アストンマーティン
・在任帰還:2025年から
アンディ・コーウェルは前任のマイク・クラックに代わって2025年からアストンマーティンのチーム代表に就任した。コーウェルはもともと2013年から2020年までメルセデスのハイパフォーマンス・パワートレイン部門で働いた後、2024年7月にマーティン・ウィットマーシュの後任CEOとしてチームに加入した。
コーウェルはチーム代表とCEOを兼任することで、クラックはチームのトラックサイド・チーフオフィサーに異動することとなった。
コーウェルはメルセデスをチャンピオンチームに押し上げる上で重要な役割を果たしただけでなく、BMWやコスワースでもエンジニアを務めてきた。モータースポーツでの経験は豊富だ。
小松礼雄|ハースF1チーム

・所属チーム:ハース
・在任帰還:2024年から
小松礼雄は、ギュンター・シュタイナーに代わって2024年からハースのチーム代表に就任。前年度にF1コンストラクターズランキング最下位に終わったチームを率いることとなった。
小松は2003年にBARのタイヤエンジニアとしてF1キャリアをスタートすると、3年後にはパフォーマンスエンジニアとしてルノーに移籍。2011年にヴィタリー・ペドロフのレースエンジニアに任命され、翌年にはロマン・グロージャンとコンビを組んだ。
2015年に小松はロータスのチーフレースエンジニアに就任したが、1年後にグロージャンとともに新興チームのハースへと移籍し、トラックサイドエンジニアリングディレクターを8シーズンにわたって務めた。2024年からは、ヨーロッパを拠点とするチームで初の日本人チーム代表となった。
フレデリック・バスール|スクーデリア・フェラーリ

・所属チーム:フェラーリ
・在任帰還:2023年から
フランス出身のバスールは自動車エンジニアリングと航空学を学んだ後、1996年に自身のチーム「ASM」を設立した。
後にチームはARTに名称が改められ、ルイス・ハミルトンやセバスチャン・ベッテル、ニコ・ロズベルグ、シャルル・ルクレールなど名だたるF1ドライバーを多く輩出。8回のGP2タイトル、9回のGP3タイトル、12回のF3ユーロシリーズタイトルを生み出してきた。
こうした経歴を持つバスールに、F1チームから声がかかるのは必然だったのかもしれない。バスールは2016年にチーム代表としてルノーに加入した。ただフランス人であるという繋がりとは裏腹に、ルノーでの仕事は1年間しか続かなかった。
その後2017年半ばから、ザウバーF1にチーム代表として加入。アルファロメオに名称が改められても変わらずチームを率いた。
そして2022年末にフェラーリで“お家騒動”が起こると、バスールはマッティア・ビノットの後任としてチーム代表に任命された。新体制のフェラーリは目に見える進化を遂げ、2024年にはコンストラクターズランキング2位に輝いた。
アンドレア・ステラ|マクラーレンF1チーム

・所属チーム:マクラーレン
・在任帰還:2023年から
アンドレアス・ザイドルがマクラーレンのチーム代表を4年務めた後、アウディワークス化が迫るザウバーに移籍したため、アンドレア・ステラが2023年からその座を引き継ぐこととなった。
ステラの起用はマクラーレンの内部登用であり、エグゼクティブ・ディレクターからの昇格だ。チーム代表用のヘッドセットに記載されるイニシャルを変更する必要がないという利便性以上に、ステラは実践的なエンジニアリングの経験を豊富に持っている。フェラーリ時代にはミハエル・シューマッハーやキミ・ライコネン、フェルナンド・アロンソらと共に仕事をし、アロンソの後を追って2015年にマクラーレンに加入した。
ステラ体制初年度のマクラーレンは、9回の表彰台とF1スプリントでの勝利を掴み、コンストラクターズランキング4位。2024年には26年ぶりにコンストラクターズタイトルを持ち帰った。
ジェームス・ボウルズ|ウイリアムズ・レーシング

・所属チーム:ウイリアムズ
・在任帰還:2023年から
ウイリアムズで代表を務めるジェームス・ボウルズは、ストラテジストとしてF1界にその名を轟かせた人物。新天地で現在のポストを掴む前は、メルセデスで4年にわたりモータースポーツ戦略ディレクターを務めていた。
ブラックリーを拠点とするチームがBARやホンダ、ブラウンGPを経て、2010年からメルセデスに代わってもボウルズは20年以上在籍。メルセデス最盛期にはチーム首脳陣まで上り詰めたが、チーム代表のポストが空くことはなかった。
そのためウイリアムズから2022年末にヨースト・カピトが離脱すると、ボウルズは後任として加入。2023年に44歳になったボウルズはパドックでも若手のチーム代表のひとりとなり、ウイリアムズを最下位からランキング7位まで引き上げた。
ボウルズの経歴にはF1チーム代表としては珍しい点がふたつある。ひとつ目はクランフィールド大学でモータースポーツの学位を取得していること。そしてふたつ目は、2022年にアジアン・ル・マン・シリーズ(ALMS)に参戦しており、現役レーシングドライバーとも呼べることだ。
トト・ウルフ|メルセデスAMG F1チーム

・所属チーム:メルセデス
・在任帰還:2013年から
トト・ウルフは、オーストリア出身の元レーシングドライバーで、現在はメルセデスのチーム代表だけでなく、チームの33%の株式を所有する共同オーナーでもある。前任者のノルベルト・ハウグ同様に、メルセデス・ベンツのモータースポーツ活動の全体責任者でもある。
ウルフは手練のレーシングドライバーだったが、1990年代前半にオーストリアとドイツでフォーミュラ・フォードに乗った後は、スポーツカーレースに転向していた。彼はコース上で世界的な成功を収めるには至らなかったが、コース外ではモータースポーツ界で大きな遺産を築き上げた。
ウルフはウイリアムズでディレクターを務めた後、メルセデスへ移籍。同郷のF1世界チャンピオンである故ニキ・ラウダと共に、ニコ・ロズベルグやルイス・ハミルトンなどを引き抜き、前人未到のコンストラクターズタイトル8連覇を達成した。
ウルフはスコットランド人の元レーシングドライバーであるスージー(旧姓ストッダート)と結婚しており、彼女は女性ドライバー限定シリーズであるF1アカデミーのマネージング・ディレクターを務めている。
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