
今週末はカナダ・モントリオールのジル・ビルヌーブ・サーキットでF1カナダGPが開催されるが、今から30年前の1995年6月11日に行なわれた同GPでは、ビルヌーブと同じカーナンバー27番のフェラーリを駆るドライバーが優勝した。そのドライバーこそジャン・アレジだ。
アレジは1989年にF1デビューを果たすと、1990年の開幕戦アメリカGPではティレルのマシンでマクラーレン・ホンダのアイルトン・セナとトップ争いを繰り広げるなど、その速さが早くから注目された。
そして翌1991年にはフェラーリのドライバーに抜擢されたが、時を同じくしてチームが低迷期に入ってしまったこともあり、優勝は前述のカナダGPの1回のみ。その後ベネトン、ザウバー、プロスト、ジョーダンと渡り歩いたが、結局キャリア1勝のままステアリングを置いた。
1995年のカナダGPは、数々の不運に見舞われてきたアレジに勝利の女神が微笑んだレースでもあった。ライバルのウイリアムズ勢(デーモン・ヒル/デビッド・クルサード)が相次いでリタイア、チームメイトのゲルハルト・ベルガーも戦列を離れた。そしてアレジはベネトンのミハエル・シューマッハーのはるか後方、2番手を走っていたが、そのシューマッハーにギヤボックスのトラブルが発生したのだ。
アレジは後年、トップに立ったのを知った時のことを回想し、こう語っていた。
「ピットの前を通り過ぎた時、”1番手”という表示を見た。その瞬間から僕は感動してしまい、涙が止まらなかった。それを抑えることができなかったんだ」
「ターン1に向けてブレーキングをした時、目には涙が溢れていたから、正しいラインを維持するのは簡単じゃなかった。そのことについて自分自身に腹を立てていた。でもゆっくり、ゆっくりと、今日は僕の日なのかもしれないということを理解し始めた」
無事トップでチェッカーを受けたアレジだったが、直後にガス欠。まさに薄氷を踏む勝利だった。5位でフィニッシュしたシューマッハーのマシンにまたがり、ウイニングランをするアレジの姿は語り草となっている。
ちなみに、この日はアレジの誕生日でもあった。あれから30年。アレジは62歳となった。彼は今でもF1パドックに元気な姿を見せており、時折来日しては、東京に住みスーパーGTなどで活躍する息子ジュリアーノを激励している。
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