
日本人ライダーとして15年ぶりにロードレース世界選手権(MotoGP)の世界チャンピオンとなった小椋藍。彼はタイトルを獲得することが、自らのキャリアの目標だったと話している。
小椋はアジア・タレント・カップとレッドブル・ルーキーズカップを経て、2019年にMoto3クラスで世界選手権のレギュラー参戦を開始。ホンダの育成ライダーとして戦ってきた。
2020年にはMoto3クラスでチャンピオン争いを繰り広げ、最後は4ポイント差の3位でシーズンを終了し、翌年にはMoto2クラスへステップアップした。
Moto2クラスでは2年目の2022年に初優勝も記録し、再びチャンピオン争いに参加。最終戦まで争ったものの、この年もチャンピオンを逃してしまった。
そして2024年シーズン、小椋はホンダ・チーム・アジアからMT Helmets - MSIへ移籍。シャシーも変更され、心機一転のシーズンに挑んだ。
第6戦カタルニアGPでシーズン初優勝を果たすと、小椋はその後快調にレースを進めて2年ぶりのタイトルコンテンダーとなった。そして他のライダーに大きく差をつけ、タイGPで2位となったことで、2レースを残してキャリア初のチャンピオンに輝いた。なお日本人ライダーのチャンピオンは、2009年の青山博一(250cc)以来15年ぶりの快挙だった。
チャンピオン会見で小椋は、タイトルを獲得することが自らのキャリアにおける最大の目標だったと振り返っている。前述のように2度チャンスを逃したこともあり、夢見ていた目標を達成できたことを喜んだ。
「僕のレースキャリアにおける最大の目標は、世界タイトルを獲得することでした。それがMoto3なのか、Moto2なのかMotoGPであるかは関係ありませんでした」
小椋はそう語る。
「僕はMoto3では2020年に1度、そしてMoto2では2022年に1度タイトル獲得のチャンスを逃してしまった後、この”世界タイトル”だけを夢見ていました。MotoGPライダーにいつかなれるかどうかは、本当に気にしていなかったんです」
「このタイトルを得て、ついに世界チャンピオンになったことで、今はMotoGPに向けて本当に準備ができたと感じています」
「もちろん、(Moto2タイトルは)嬉しいですね」
MotoGPクラスのタイトルや、伝説的ライダーのバレンティーノ・ロッシの記録を超えるなどといったことではなく、いずれかのクラスでの世界タイトル獲得がキャリアの夢だったという小椋。そう考えていた理由を、彼は次のように語った。
「僕は自分がどういう存在か分かっていますから。つまり、小さい頃から僕は最速のひとりではなかったんです」
「僕は自分がめちゃくちゃ、めちゃくちゃ才能があったわけではないと感じています。でも本当に一生懸命取り組めば、こういった結果を得ることができると信じていました。そして、それがMotoGPチャンピオン5回といったようなことを考えていなかった理由です。それが現実になったら最高ですが、可能性はかなり低いものです。だから僕は世界でイチバンになること、その年だけになるかもしれなくてもタイトルを手にすることを夢見ていたんです」
小椋は今シーズンのこれまでの戦いを振り返ると、オーストリアGPで右手を骨折してしまったときは、今年もダメかと思ったと語った。
「今シーズンは上手くスタートを切れず、6位、7位また6位というような感じで、でもガルシア(セルジオ・ガルシア/チームメイト)はよりポイントを稼いでいましたから、良い瞬間ではありませんでした」
「でもチャンピオンシップについて、あまり心配はしていませんでした、6位や7位フィニッシュになっていても、正しい道を進めば、毎回勝ったり表彰台で終えられるポテンシャルが自分にはあると分かっていたからです」
「そしてカタルニアでそれを示し始めてから、全てが上手くいき始めました」
「ただオーストリアで骨折してしまったときは、今年もまたダメかと思いました。もう終わったと思いましたよ。でもその後、ミサノでの勝利が本当に大きかったです。まだ痛みもありましたけど、勝つことができて、チームもさらにモチベーションを高めることができました」
「シーズン終盤戦では何度も表彰台を獲得し、コントロールすることができました。今年は完璧な年ではなかったですが、とても素晴らしいシーズンになりました」
なお小椋は来シーズン、トラックハウス・レーシングからMotoGPクラスへ昇格。中上貴晶が今年限りで同クラスの参戦を終えるため、来年は唯一の最高峰クラス日本人ライダーとして戦うことになる。
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