
2024年シーズンはROOKIE RacingからスーパーGTに、KCMGからスーパーフォーミュラに参戦することが発表された福住仁嶺。これまでホンダの主力ドライバーとして活躍してきただけに、トヨタ陣営への移籍の噂が挙がった時点から驚きの声が多く挙がっていた。
福住は若手時代にホンダのサポートの下でGP3(現FIA F3)、FIA F2を戦い、2018年からはスーパーフォーミュラ、2019年からはスーパーGTへの参戦をスタート。2019年はスーパーGTのGT300クラスでチャンピオンとなった。そして2021年にはスーパーフォーミュラ、スーパーGT(GT500クラス)で共にランキング2位を獲得し、名実共に国内トップドライバーの仲間入りを果たした。
2022年からはスーパーフォーミュラでは1台体制のThreeBond Racing(ThreeBond Drago Corse)に移籍したこともあって、ここ2シーズンは入賞がやっとというシーズンが続いた。一方でスーパーGTでは2023年、デビュー当時から所属するARTAで大津弘樹とコンビを組み、ホンダ陣営で唯一最終戦までタイトル争いに残るなど、その実力を存分に発揮していた。
そんな福住だが、27歳となる2024年シーズンはトヨタ陣営のチームを新天地に選んだ。先日のスーパーフォーミュラ合同/ルーキーテストではKCMGから参加した福住だが、その時は関口雄飛と18号車をシェアする形であり、関係者の話ではこの時点ではSFのシートが確定していなかったのではという声も聞こえてきている。いずれにせよ、福住の移籍話はスーパーGTのROOKIE Racingへ加入する、というところから始まっていったようだ。
移籍を決断した理由について福住は、海外挑戦を含め、将来的なレースキャリアを見据えたものだと説明。ROOKIE Racingからチャンスをもらったことは非常に大きなことだと強調した。
「僕は来季以降、もっともっとチャレンジしていきたいですし、ROOKIE Racingの14号車で走るというチャンスをいただいたということは、人生においても大きなチャンスだと思いました。まずは結果を残してチームと一緒にチャンピオンを獲りたいですし、そう思わせてくれるチームだと僕は信じています」
「今はトヨタも色々なチャレンジをしていて、海外のチャレンジという部分も、最近すごく見えてきていると思います。僕としてもそういったチャレンジをやめたくないですし、結果を残した先にどういうものがあるかを考えた時に、僕としては一番メリットがあると思いました」
「先のことを考えても、長いレース人生にしたいです。結果を残した時にもっともっとチャンスがあると感じたので、このような決断に至りました」
このように、海外挑戦への思いも口にした福住。今は妻子を持つ身であり、決断には悩んだというが、最終的には移籍というチャレンジを決めたという。
「僕には家族もいて、なるべく家族と一緒にいたいですし、その時間も大切だと思います。ただ、そうは言っても人生は1回しかありません」
「僕としても、レースを引退した後のことも含めて長い目で見た時に、結果を残して、日本のモータースポーツの中でもっと名前を知ってもらって、その流れで世界にも名前を知ってもらう……そういったところにチャレンジしていかないと、長く生き残れないと思いました。もちろん、その辺は家族ともちゃんと話し合って決めました」
福住といえば、2017年にGP3でランキング3位に入るなど活躍したが、海外挑戦最終年となった2018年は彼にとっても非常に苦しいシーズンとなった。アーデンから参戦したF2では様々なトラブルにも祟られ、ランキング17位。それと並行して参戦したスーパーフォーミュラでも結果を残すことができなかった。
海外で苦戦した経験から、「もう海外には行きたくない」と思ったことはなかったのか? そう福住に尋ねると、彼は自分の中にあった心境の変化について口を開いた。
「多少は(そういった思いが)あったりもしました」
「正直、F2とSFをやったあのシーズンは、自分としてもかなりショックな1年でした。だけど、あの時はそれほどまでに結果を求めすぎていたのかなと思います」
「もっと周りのことを見えるようになってからは、ダメな時もめちゃくちゃ落ち込むということも無くなりました。それは良いことでも悪いことでもあると思いますが、悪い時にちゃんと周りを見えるようになったという部分も多少はあると思います」
「だからこそ、自分としても人としても、もっと成長しないといけないと思っていますし、(トヨタは)自分を成長させてくれる場だと思っています」
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