2023.11.6

130Rのフェンス乗り越えデグナー手前に落下。戦慄のクラッシュから無事生還した笹原右京が当時を振り返る「病院の方も驚いていました」

Masahide Kamio

「病院の方も驚いていました。『なんでこの人はこんなにピンピンしてるんだ』って(笑)」

 そう語るのは、先日スーパーフォーミュラで大きな事故を経験した笹原右京だ。なにも驚いたのは、病院の関係者だけではない。モータースポーツファン、関係者の誰もが、スーパーGT最終戦が行なわれるモビリティリゾートもてぎに元気な姿でやってきた笹原には驚かされた。

 鈴鹿でのクラッシュは背筋も凍る激しいものだった。130Rでのバトル中に大津弘樹と接触した笹原は、スピン状態になりマシン後部が浮き上がるような形で外側のバリアに。しかもスポンジバリア、タイヤバリアの上のデブリフェンスに激突し、その衝撃で分離したマシンのモノコック(コックピット部)はフェンスを乗り越えて、反対側にあるデグナー手前の土手の下に落下した。

 130Rでクラッシュした車両がデグナー側まで落下するという前代未聞のシチュエーションだったが、マシンから救出された笹原には脳震盪が認められたものの骨折などの外傷はないと診断され、精密検査の結果も異常なし。鈴鹿戦の1週間後にもてぎでのスーパーGT最終戦を控えていたが、レースウィーク金曜日のメディカルチェックを経て無事出走許可が降り、通常通りレースを戦い切った。

 レースウィークのパドックでは、多くの関係者やファンから入れ替わり立ち替わり声をかけられ、心配をかけたという思いからかその度に恐縮した表情をしていた笹原。事故のことは全て覚えているというが、逆さまになって着地したこともあり、まさか自分がデグナー側まで落下しているとは気付かなかったという。

「事故のことは全て記憶があり、覚えています。大きい事故になりましたし、まさかクルマがあそこまで飛んでしまっているとは自分も全く思っていませんでした」

「最後はぬかるみのようなところに裏返しになって止まったので、自力では出られませんでした。オフィシャルの方もすぐには発見できなかったと思います。ただ発見してからはオフィシャルの皆さんやドクターの方々が迅速に、手順を踏んでやってくださったので、幸い自分も身体はなんともなく、今週末のGTにも出ることができました」

「そこは多くの方々に本当に感謝ですし、一方で皆さんにご心配をおかけしたことや、レースを楽しみに見に来てくれた方がいた中でああいう形でレースが終わってしまったことに対して、申し訳なく思っています。自分としてはスーパーフォーミュラというレースをもっと見てほしかったですし、胸が苦しいです」

「あそこまでの衝撃があると、どうしてもヘッドレストに頭を打ちつけてしまいますから、軽い脳震盪という診断は受けました。あと最後は逆さまだったので、頭に血が上りそうだったのと、自力で出られなかったことはキツかったですね。でも救出していただいてからは本当に何もなく、病院の方も驚いていました。病院でもクラッシュの映像や写真が話題になっていましたが、『なんでこの人はこんなにピンピンしてるんだ』って(笑)」

「スーパーフォーミュラのクルマ自体の安全性にも助けられましたし、あとは当たりどころが良かったり、クルマがバラバラになって衝撃を分散してくれたり、そういった奇跡が起きただけだと思います」

 笹原は以前、motorsport.comに対してインディカー参戦への思いを語った際、クラッシュのリスクは承知しており、事故の結果何が起こっても覚悟はできているとして、オーバルでのレースにも意欲的であると語っていた。そういった考えや恐怖心に、何か変化はあったかと問うと、彼はこう答えた。

「そこは全くなかったです。レースに関係なく、いつどこで命がどうなるかは誰にも分かりません」

「今週末レースを走って、やっぱりレースが好きなことには変わりないし、自分が興奮できることはレースだと思いました。もちろん事故は起きてほしくないですが、恐怖心でやっぱりインディに出たくないとか、そういうことは全くないです」

「自分は一戦一戦、相応の覚悟と準備をしてレースに挑んでいるつもりなので、これからもそれを続けて、プッシュしていきたいと思います」



■トムス移籍1年目は「タフな1年だった」

Masahide Kamio


 さらなる活躍の場を求めて、今季ホンダ陣営からトヨタ陣営に移籍した笹原にとって、2023年シーズンは変化の1年だったと言える。強豪TOM'Sに加入し、スーパーGTでは37号車のドライバーとしてフル参戦、スーパーフォーミュラもシーズン後半戦からシートを確保した。しかし、彼の思い描いたような成績は残せなかった。

 スーパーフォーミュラは3レースに出走しノーポイント。スーパーGTもランキング15位に終わった。特に、スーパーフォーミュラはチームメイトの宮田莉朋、スーパーGTでは僚友の36号車の坪井翔と宮田と、隣のピットにいるドライバーたちがチャンピオンを獲得しているという笹原にとっては悔しいシーズンとなった。

 スーパーGTで苦しんだ理由については多くを語れないと言う笹原だが、その理由を周囲に理解してもらえていることで、自信を失わずに済んだと語った。

「タフな1年でした。何よりTGRの皆さん、トムスの皆さん、TCDの皆さんにたくさんサポートいただけましたが、ここまで苦労するとは正直思わなかったですし、今はとにかく疲れ切っている状況です(笑)」

「自分としては、2台とも(SFもGTも)隣がチャンピオンを獲っていることは、チームとして嬉しい反面、個人的には悔しいです。SFはフルで出ていたわけではないですが、GTはなかなか厳しい問題もあり、チームはチームで苦労する部分もありました。ただ、そこは(周囲の)皆さんが一番理解してくれているので、ドライバーとして自信を失わずに済みました」

「色々と解決できれば、必ずや36号車みたいに走れると思うので、そこはあまり気にしていません。この悔しい気持ちを来年にぶつけたいというのが一番です。僕はもっと速く走りたいです」

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出典: https://jp.motorsport.com/super-formula/news/sasahara-recall-the-crash-suzuka/10543613/
この記事を書いた人 戎井健一郎

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