2025.6.12

なぜか不遇のV8ランボルギーニ! SUVのウルス以外は不人気モデルだらけという残念な歴史

なぜか不遇のV8ランボルギーニ! SUVのウルス以外は不人気モデルだらけという残念な歴史

この記事をまとめると

■ランボルギーニは中期計画「コル・タウリ」の名の下にV8モデルを復活させた

■ウラッコからジャルパまでのV8搭載車種は挑戦と失敗の連続だった

■ウルスやテメラリオなどのV8モデルが新たに生まれたが真のランボらしさを問う声もある

かつて起死回生を狙って生まれたV8ランボたち

 ランボルギーニが立てた環境に対する中期計画「コル・タウリ」って、日本語にすると「雄牛の心臓」なんだとか。レヴエルトやテメラリオといったニューモデルを相次いでプラグインハイブリッド化したのもその計画に基づくものでしょうが、はたして雄牛の心臓のような荒々しい鼓動感はあるのでしょうか。

 鼓動といえば、テメラリオでは久しぶりにV8エンジンが復活しています。ランボ=V12という原理主義者を除けば、V8独特の鼓動や脈動感を好む方も少なくないはず。V12の陰に隠れているものの、歴史を振り返るまでもなく、ランボルギーニのV8エンジンは名機の誉れ高いユニットに違いありません。

ランボルギーニ・テメラリオのフロントスタリイング

 かつてのランボルギーニにとって、V8エンジンの開発はすなわち死活問題にも等しいものでした。なんといっても、創業以来フェルッチオの望みどおり売れまくったのはミウラだけであり、その他が鳴かず飛ばずでは、自動車メーカーを始めた意味さえ失うわけです。そこで、フェルッチオが仮想ライバルをポルシェ911に定め、ニューモデルの開発を命じたのは有名なエピソード。

 2+2という実用性に加え、ボクサーエンジンという優れたパワーユニット、そして比較的コンパクトなスポーツカーというライバルのパッケージに「だったらV12いらなくね」となったのは容易に想像がつきます。

 1970年のトリノショーでデビューしたウラッコこそ初のV8モデルでしたが、開発はV12搭載のグランツーリスモ、ハラマと同時並行していたといわれます。設計を担ったのは、当時のランボルギーニ花形エンジニアだったパオロ・スタンツァーニ。フェルッチオから「911をやっつけろ」くらいのザックリしたオーダーに対し、スタンツァーニの考えかたは緻密でコンパクト、かつ軽量なV8こそふさわしいというもの。

ランボルギーニ・ウラッコのフロントスタイリング

 もともとスタンツァーニは、ジオット・ビッザリーニが基礎を担ったV12は重厚長大で「スポーツカーにふさわしいとは思えない」とかなんとか悪口もいっていたとか。

 さて、お得意の砂型鋳造で作られたオールアルミ2.5リッターV8は、前後長1020mm、幅600mm、高さ700mmとコンパクトで、むろん12気筒エンジンよりも軽量に仕上がりました。これをミッドに横置きしつつ、4250mmの全長、2450mmのホイールベースというパッケージを成り立たせているのです。ウラッコはリヤに+2座ぶんのシートまで付いているわけですから、筆者としてはアレック・イシゴニスのミニに匹敵するようなエポックメイクに思えてなりません。

ランボルギーニ・ウラッコのV8エンジン

 そして、ウラッコP250と名付けられ、それまでのランボより低価格、かつ実用性もそこそこ、飛ばそうと思えば240km/hも出る最高速をカタログに記載。

 当初は売れゆきも悪くなかったようですが、やっぱり911やフェラーリ308の壁は分厚かったのです。3リッターにボアアップしたP300や、イタリアの税制に合わせた2リッターNAのP200といったバリエーションも焼け石に水。ウラッコがランボの景気を好転させることはついに叶わなかったのでした。

ADVERTISEMENT

ADVERTISEMENT

いったんは途絶えたV8ランボだが現代になって復活

 1979年、ついにフェルッチオは経営の最前線から手を引き、株式の51%をスイス人実業家のロセッティ氏に譲ることに。

 ところが、このロセッティ氏はセンスがいいのかビジネス勘が悪いのか、「ウラッコはアップデートすればまだまだ売れる」とにらみ、シルエットを作らせたのでした。タルガトップ、エアロを意識したスポイラーやフェンダーなどアメリカ人好みっぽいデザインがなされたほか、V8エンジンもまた改良が施されています。この際、3リッターの排気量は変更なく、ツインカムに変更されることでそれまでの253馬力から264馬力へとわずかながらもパワーアップがされました。

ランボルギーニ・シルエットのフロントスタイリング

 が、またしても売れ行きはイマイチ(笑)。シルエットのためだけではありませんが、ロセッティはすぐさまフランス人のパトリック・ミムランに株式を譲渡。すると、ミムランもまた「シルエットはアップデートすればまだまだ売れる」とばかりにジャルパの開発を決定。

 ただし、今度は根本的な改良にほど近く、エンジン、スタイリングはもちろん、インテリアまで徹底的にアップデートがなされました。これらの作業はランボ社内ではなく全面的にベルトーネに任され、かのガンディーニも腕をふるったとされています。

ランボルギーニ・ジャルパのフロントスタイリング

 V8エンジンは3.5リッターまで拡大されたものの、デビューイヤーの1981年といえば排ガス規制の影響が大きかったもので、最大出力は258馬力/7000rpmへとダウン。しかし、そのかわりトルクが273Nm/5750rpmから305Nm/4000rpmへと大幅にアップしただけでなく、発生回転も下がって扱いやすさもアップ。

 しかも、前面投影面積が増えたにもかかわらず、最高速は248km/hまで向上し、スタンツァーニV8モデル最速の座を極めたのでした。が、やっぱり数は売れず、その生産台数はわずかに410台と公表されています。

ランボルギーニ・ジャルパのリヤスタイリング

 その後、ランボルギーニを手に入れたクライスラーによってジャルパは生産中止(1988年)となり、ランボルギーニのV8モデルは2017年のウルスまでラインアップに加わりませんでした。

 ウルスのエンジンはご承知のとおり、VW/アウディ由来のユニットで650馬力/6000rpm、850Nm/2250-4500rpmというパワーを発揮。ウラッコはおろか、ジャルパでさえ比べ物にならないレベル。

ランボルギーニ・ウルスのリヤスタイリング

 ですが、これを雄牛の心臓と呼べるかどうか、フェルッチオやスタンツァーニに質してみたいと思うのは筆者だけではないはずです。

ADVERTISEMENT

ADVERTISEMENT

出典: https://www.webcartop.jp/2025/06/1637695/
この記事を書いた人 石橋 寛

SHARE

FAVORITE

こちらの記事もおすすめ